第2.00話 ~運命篇~



□大昭25年 03/26 AM06:47

 

 

 

「鷲宮様―― 一言、よろしいですか?

 

 専門の運転手が運転する車内で、其の声だけがよく響いていた。

 都城(みやこのじょう) 美峰(みほ)は主張する。あんな奴だが、これからも仲良くしてくれと、世界三周旅行に出かけていると云う親の代わりに。

 

「沈黙は肯定と受け取ります――これからもお嬢様と、変わらぬお付き合いをお願いいたします。無理な要求だとは重々承知しておりますが――あの方にとって、貴女以上に深く付き合っている同性の御学友は絶無に等しいのです」

 

 Why?

 

 其れは無茶な話だと、彼女は間髪かけずに声に出そうとしたが、其れは寸でで止められることとなった。

 気を引く為だとは分かっている。それが彼女を同情させるための甘言だと分かっているが、其の一言を聞いては、割り込んで断ることなどできようはずもなかった。

 

「先ほど、お嬢様は大層おどけていらっしゃいましたがその実、昨晩貴女を抱えて駆け込んできたときはそれはもう、これまでに見たことがないほどに錯乱しておいででした。ただ一言、友人を、手に掛けてしまったと、私の顔を見上げて云ったのです」

 

 自業自得ではないのか。彼女は半分以上意図的に自分を殺したのだぞ。

 そう思うのと反対に、それが真に恣意的に御鏡弥生が起こした行動なのか彼女には自信がなくなっていた。あの状態の御鏡弥生はまさしく異常であった、彼女の裏の事情を知っているわけではないが、しかし異常な精神状態にあったのだとすれば、あの違和感もおかしなものでもないのかもしれないと思えた。

 そして思い起こせば、確かに御鏡弥生の交友範囲というのは異常なほどに狭く閉塞していた。おそらく彼女、鷲宮准の交友範囲に付随するレベルの交友しかないのではないだろうかと思うほどに。

 

 ダカラト云ツテ、許セルノダラウカ……己ノ下手人ヲ、許スコトガ出来ルノダラウカ……

 

 無理だ、それは無理な相談だと彼女は心の中で反駁した。しかし同時に彼女への憐れみを――昨日も感じた彼女への憐れみが付きまとう。しかしその真意を理解しているからこそ、彼女はその感情を本物ではないと己を糾弾するように嘲った。

 

 ――サウ、ダカラ私ハ■■ナノダ。ドウシヤウモナク■■ナノダ

 

 それはどう考えたって利他的行為でもなければ自己利益の追求でもないし婉曲的自己救済でもない。ただ友達が困っているから、ナニカを期待しての感情で――ゆえにそれは■■だ。それ以外にあり得ようもない。

 

 そのあとの十数分をどのようにして過ごしたのかわからなかったが、家について扉を開けられ導かれるままに降ろされたとき、都城美峰は彼女に釘を刺すように一言だけ告げた。まるで今思い出したかのように。

 

「お嬢様からの伝言です。猶予を与えるので、その間にお泊りセットを用意してほしいとのことです。お昼ごろにはお迎えに上がりますので」

 

 彼女が驚いている間に、軽く母親への挨拶と事情の説明までを済ませてしまった所謂出来る使用人然とした都城が、わざわざ母親に聞こえるように伝えたのだから、意味がないはずはない――少なくとも彼女は、これまでの三年間で嫌というほど彼女らの周到さを理解していたから、覚悟を決めた。

 

 トドノツマリ、死ヌ覚悟ヲ決メテヲケト、サウ云フコトナノダ。

 

 昨日のあの惨劇が、御鏡弥生の初めての殺人(ロストヴァージン)ではないことくらいは分かり切っていた。きっとこれから出会うのは、そういった世界の人間たちなのだろう。

 どういった世界もこういった世界も世界なんぞは一つだが、そういった普通に生きているだけでは出会いようもない職業の人間と出会うことになるのだろう。それが御鏡弥生の臭いを嗅いで彼女が理解した結論であった。

 その真意がなんなのかは分からないが、御鏡弥生いわくの責任を果たすチャンス――“彼女の心”を探す手伝いとはそういうことなのだろう。そういった輩から御鏡弥生が心と称する何かを奪い取れと。

 だから覚悟を、死ぬ覚悟を決める猶予をやるということなのだ。

 

 

 

 

 

 

 数日分の衣服と入浴セット、タオルに上着や携帯電話と充電器、旅行用の歯磨きセットなどをトランクケースに詰め込んでいる最中、どうしても彼女は気になってそれを見ていた。

 昨晩は高校の制服で出歩いていて、腹を掻っ捌かれた。しかし制服は無傷なのだ。まるで新品のように、血の痕一つ付いていない。ほつれもなく、昨日ハンガーから外したときとまったく同じ状態で、だから気味が悪かった。

 幾らエナジードレインとはいえ、着ている服まで回復するなんてことはないはずだと思いたいが、しかし彼女にそういった知識は皆無に等しい。おかしいと思いながらも無視せざるを得なかった。

 

 関係ない話だが、彼女と御鏡弥生の服飾センスはおおむね同じだ。御鏡弥生は暗めの色合いの服を好んで着るし、彼女、鷲宮准は鷲宮准で何の変哲もなさそうな、少し硬めの服装を好む。

 御鏡弥生はスカートよりはパンツを好み、彼女、鷲宮准がパンツを履くとき高確率で御鏡弥生もパンツだ。腐れ縁とはいえ色合い以外ほぼ同じファッションセンスというのもおかしな話だと思いながら、なぜ御鏡弥生は自分と同じ高校へ進学したのか、その意図について彼女は考えていた。

 あの旧友のことだから何も考えていなさそうだ――そう思う反面本人の知り得ない何かがあるのかもしれないとも考えていた。

 彼女の通う予定の学校は、県内では進学校の部類には入るがそれも枠組みとしてみて下から数えたほうだ。御鏡弥生の頭なら、そして家の力も考えれば幾らでも進路はあるはずなのだ。これ自体は家のメンツもある筈で、わざわざ彼女に合わせる必要はない。幾ら趣味嗜好が多大に被っている二人でも、進路がずっと同じだというのは作為的何かを感じざるを得ないのだ。

 考えていたところで仕方がない、彼女には彼女の考え方があるのだろうと思うことでその思考を切り離した。本人に聞いたところではぐらかされることであろうし、仲の良い人間が一人でもいることはそれもそれで良いことだろうと思うことにした。

 

 悶々ト、モヤモヤシタ感情ヲ片付ケルノハ苦手ダ。ダガシカシソレデ卑屈ニナレルホド出来タ人間デモナイ。私ハサウ云フ中途半端ナ人間ナノダ。

 

 軽い自己嫌悪を覚えながら、それでも荷物をまとめ終わるころには9時を過ぎていた。この時間は兄が返ってくる時間帯だと思えば、ちょうどそれに合わせて彼女が主に世話をしている犬が吠え始めた。勿論飼い犬だ。

 妹も姉も可愛がるだけ可愛がって世話をしないから彼女が世話をしているのだが、いまだに父と母以外に全く懐く様子のないバカ犬で、そんなバカ犬がより強く吠えるのは兄だけだ。そのさまはまるで蛇に睨まれた蛙、もしくは負け犬の遠吠えそのものだ。彼自身に何か問題があったわけでもないのだが、昔からそうなのだ。

 逆に蛇に睨まれた蛙ならぬ魔王に睨まれた犬みたいにおとなしくなるのは御鏡弥生くらいなもので、ここから導き出される答えとして、強く、まるで帰ってくるなと云わんばかりに吠える相手を考えれば兄以外にいないだろう。

 ドアが開く音と疲れたと云って転がり込む音が盛大に二階にまで聞こえてきて、溜息をついて階下に向かえば、リビングでテーブルに伏せるようにしてド〇トスチーズとコカの意味はコカインで有名な真っ黒炭酸飲料をラッパ飲みしている兄を目撃することになる。

 

「おはよう。今日も疲れたよ」

「いつも云ってないかそれ……」

「毎日毎日同じことで同じように違った疲れ方をして帰ってくるものなのさ」

「じゃあ今日はなにして疲れたんだよ」

「酔っ払いがVaseline50リッターボトルを置けとか云いながら恫喝してきて、ついでに店長にまでVaseline50リッターボトルを置かないと飲み屋街でやっていけないようにするぞとか恫喝した挙句に本社にクレーム出すとか言って帰ってった」

「疲れるね」

「疲れたよ」

 

 彼は『食わなきゃやってられない』と言いながらドリ○スチーズの空袋に大量の使用済みティッシュを突っ込んだ。花粉症なのだろうか。直後には作り置きされているおにぎりに手を伸ばし始めた。よく見れば、サンドイッチも六割方消えている。

 年(28+更年期レベル4472歳)のせいで食欲が落ちたと空嘯いているがただ単にストレスからの拒食と過食が原因ではないかというのが彼女の見立てだ。朝飯にがっついているのを見る分には到底食欲が落ちているようには見えない。

 そんな景色もこれが見納めになるかもしれないと思えば多少の感慨深さはあり、彼女はしばらくその様子を眺めていた。

 

「どうしたよ、今日は豪くしおらしいじゃないか」

「――――兄さんは、自分の命があと二日とか三日しかないとしたら、どうしたい?

 

 抽象的すぎて質問にすらなっていないと自覚しながら、彼女はそう聞くしかなかった。

 慰めてもらいたいのか、それとも助けてもらいたいのか、もしくは別れの挨拶がしたいのか、または背中を押してもらいたいのか……何を考えているのかまったくもって理解しがたかったが、何かを求めていたのは確かだった。

 分かった風なことを分かった風に、知った風に答える癖のある彼ならば、また何か分かった風に何か言ってくれるかもしれないと、今日ばかり彼女はそれに乗っかりたいと思ってしまったのだ。

 

「抽象的だな。前提条件が曖昧過ぎる――というか、そんなこと言うってことはお前」

「別にそんなのじゃないよ」

「ふぅん……」

 

 曖昧に溜息を吐きながら、彼は訝るように彼女を舐めまわす。

 何かを言いたげに細められた瞳はつい今朝の出来事をそっくりそのまま伝えたくなるが、しかしそれでも彼女は一度つばを飲み込んで何てことのないように取り繕った。

 

「――――お前が何かに巻き込まれているなら、流石にビビりの俺も覚悟するかな。お前が何かに巻き込まれて死にそうだってなら助けに行きたい。兄貴だからな」

 

 要スルニ、恰好ツケタイト云ヒタイノダ。兄貴ダカラト云フ理由ダケデ

 

 男は馬鹿なのかと思うが、それでもどこか嬉しいような気分がして顔が少しニヤケてきているのが自分でもよくわかっていた。

 ニヤケ面で見ていれば気持ち悪いぞと云われながら、その強がりが、実現できるのかはわからないがその強がりがありがたく感じられた。

 

「云いたいことは云わなきゃ伝わらない。云わなくても伝わるだろうってのは甘えだ。何かをやってほしいなら、何かを齎して欲しいならそう声に出せ」

 

 毎度云われていることだ。毎度兄がそれで姉と口論になっていることだ。と思い出した。

 彼女の一番上の姉はいわゆる女子の典型のような性格をしている。

 例えば普段ずけずけと物を云うくせに嫌なことがあれば溜め込んだ挙句に愚痴を溢すだけ溢す。勿論解決策何てほとんど考えないし考えたとしても大概実行には移さない。提言されても同様だ。

 例えば、兄妹のうちの誰かと突発的に食事したりすると場の雰囲気に流されて購入して食べた挙句に『ほんとは食べたくなかったのに食べなきゃいけないと強要されている気がした』と後から文句を云うこともある。主に彼女の兄が被害者だが、彼女の兄曰く『それはズルいだろ。モラルに反するだろ』とのことだ。彼女も、兄に同意している。

 

「そんなんじゃないよ。ただ聞きたかっただけ」

「そうかい。それなら一つ。絶対に死ぬな。生きろ。んで、死にたくないなら死なないように足掻け。そうすりゃ大概どうにかなるだろうさ」

 

 参考になるのかならないのか分からないが、兄なりに慮った結果なのだろう。安心したようなそうでもないような妙な感慨を抱きながら、刻限が迫るのを彼女は不思議とゆっくりと受け入れられた気がした。

 

 彼女の用意した荷物は本当に必要最低限だ。財布と身分証明書と携帯電話、四日分程度の衣類に歯磨きセット、ハンドドライヤーで、タオルはよく泊まる関係上あちらが常備している物を使えばいい。

 タオルと同様に、シャンプーやトリートメント、コンディショナーの類も、御鏡弥生と彼女のセンスは大概同じだった。御鏡弥生のことだから、快く貸し出すことだろう。

 洗髪が大雑把なら、髪を乾かしたりするのにも彼女は大雑把だった。

 散髪は切りに行くのが面倒くさいということから理容師の長姉に適当に短く切ってもらい、風呂から上がれば適当に生乾き程度に乾かしてすぐに布団に入ってしまう。そんなだからタオルもバスタオルは予備一枚とタオル数枚だけと非常にシンプルだ。

 自然、彼女の荷物はうまく圧縮すれば大き目のトランクケースに収めることができる程度の量だった。

 それを御鏡邸から直行してきた黒塗りベンツのトランクに詰め込みベンツに乗り込む。

 

 死ヌカモシレナイ――サウ云ツタ覚悟ヲ持ツコトハヤメタ。此処ニ帰ツテクルノダト決メタノダ

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、鷲宮様をお連れしました」

 

 珍しいことに、彼女の傍付きである都城美峰の呼びかけに、御鏡弥生は一切の返答をしなかった。襖越しにテレビの音が漏れ聞こえることから何かの番組を見ているのだろうことは確かだったが――

 都城の方はといえば、またかと言いたげな顔をして、それだけで彼女も襖の向こうで御鏡弥生が熱心に見ている番組の見当がついた。

 

「入りますね」

 

 問答無用、というセリフがこれほどまでに似合う勢いはない。云い終えるか終えないかの内に都城は襖を開け放ち敷居を跨いでいた。

 

 果たして彼女がそれほど熱心に見ていた番組とは何か。政治評論家の講義の内容でもなければ首相の就任演説でもない。そもそもそんな真面目でシリアスで耳にタコが出来そうな類のものを彼女はそれほど見ない。

 であるなら、彼女がそれほどまでに熱心に見ている番組のジャンルなどたかが知れている。

 

 マタカ――相モ変ワラズ飽キモセズ、ヨク見ヤウト思エルモノダ

 

 時間はちょうど1235分ほど。始まって間もないくらいか。と彼女は腕時計を見て嘆息すると、広い和室に不釣り合いな25インチ12k画質超薄型液晶テレビに映し出されている文字を見てまた都城と一緒になって嘆息した。

 優雅とは何かと考えさせられるような大正ロマンやら昭和の雑多感、平成の停滞性、例話の絶望感などが混ざり合った一種のカオスのような短いオープニングののち、番組は始まった。

 

『ハイ皆様、本日もこの時間がやってまいりました。稲村ケ崎(いなむらがさき)(てつ)太郎(たろう)の“テツ、この部屋”のお時間です。本日のゲストはこちらの四人です。

 今をときめく新世代アイドルコンビCurse(カース)の加藤美波さんと松田悠子さんのお二人と、一大ムーブメントを引き起こした芥川賞受賞作家で、今回“アブラハムはカナンの地でハムを作る”で初受賞となる股昏荘(またぐらそう)さんと、ドラマシベリア鉄道連続殺人事件~ペレストロイカの弾痕~ 皆死ぬまで終われまテン”などの冷戦後のロシア、それも主にペレストロイカの動乱中を主な舞台とするペレストロイカシリーズで有名で、ご自身もペレストロイカから亡命してきたロシア人を祖父にもつ吾笠(あがさ)・アレクサンドル・ムラヴィヨフ・アムールスキー・大吾さんの四人です

 

 胡散臭ヒ――胡散臭サノ塊ノヤウナ連中ダ

 

 第13,553,234回とテロップに銘打たれている、非常に長寿なことが伺える番組だった。

 そう、何を隠そう御鏡弥生はこの番組のファンなのだ。出来うる限り毎日見ているばかりか、見られない日は録画してまで視聴するほどに重度の。

 ついでに彼女の主観での分析ではあるが、彼女からしてみるとこの番組はとてもつまらないと云えるのだが、不思議なことに彼女らが子供の時分からずっと――どころではなく、明治時代からずっと終わる様子を見せない超絶長寿番組だ。

 御鏡弥生のような重度のファンが多数いるわけでもないが、何故か終わらない。そしてこの番組に出るアーティストは将来を約束されると云われ日夜抗争が絶えないことでも有名だ。

 ちなみに、テレビ業界の謎として何度も特集を組まれては秘密を調べたテレビスタッフが怪死したり自殺したり失踪したり戦場の最前線の取材に飛ばされるなどする案件の絶えない、朝日ヶ谷テレビ百不思議の一つに数えられていたりもするのは余談だ。

 

「またこのつまらない番組を見ているのか、弥生は」

「つまらないとはなんだ。つまらないとは。明治時代初期のラジオ放送からずっとテツと名前の付く芸人だけで続けられてきた由緒正しい番組なんだよ」

「……今日でそれ何万回目の放送だっけ?

「今日の放送で一千三百五十五万三千二百三十四回目だね。テロップに書いてあるよ」

「――よく飽きないな」

 

 其シテ決マツテカウ云フノダラウ――

 カウ云フノ見テルトネ、僕ハマダマシナ人間ニ思エテクルンダ

 

 彼女の予想を裏切らず、一言一句間違えず、御鏡弥生は言い切った。

 

「――――こういうの見てるとね、僕はまだマシな人間に思えてくるんだ」

 

 彼女、御鏡弥生の決め台詞のようなものだった。彼女が聞けば必ずこう答えるのだ、御鏡弥生は。

 

 一体全体友人ヲ殺スヤウナ友人ノドコガ“マシ”ナ人間ナノダラウカ――小一時間問ヒ詰メタイトコロダ

 

 ジトリとした視線を浴びせながらもそれでも彼女は御鏡弥生の隣に座った。テレビを見ながらでも会話は出来るのだから。

 

「それで、私は何をやればいいわけさ、弥生」

「ん~、単純に言うなら、決闘かな?

「決闘?

 

 ナントモマタ前時代的ナ言葉ノ並ビダ

 

「そう。今朝からいろいろなところを回ってきた。僕の記憶と感情の欠片を持っている三人に会いに行って、話を通してきた。彼らからはやはり第三者の介入を提示されたけど、一般人を代理に寄越すから殺しはNGでそれと決闘してくれと云ったら納得して受け入れてくれたよ。ちなみに初戦は今日の午後九時だよ」

「は? いや、つまり弥生、お前は最初からそれが目的で朝、あんな妙な話を持ち掛けてきたっていうのか」

「そうだよ。どうせ彼ら、僕のことが苦手だから代理でも立てなきゃ首を縦には振らなかっただろうしね」

 

 ダガ、責任ハ果タシテモラウヨ――

 

 御鏡弥生はそう付け足しながら、司会の寒いギャグにクツクツと演技がかった笑いを供した。

 その姿のアンバランスさは、なるほど彼女が云うところの感情が、記憶が欠落しているというのはなるほど分からなくもない。確かにそこに、昂ぶりは見受けられない。どうしても好きだと云うくせに、そこに精神の昂ぶりが一切なく、どこまでも平坦なのだ。

 いくら表情を変えるのが苦手な人間でも、好きなことには多少なり精神を揺すぶられるものだが、御鏡弥生からはそういった類の一切が抜け落ちていた。

 だから彼女は思う。十年来の不自然さの理由が、ようやく分かったと。

 彼女は確かに欠落しているのだ。彼女の言う通りに、まさしく感情が。

 

「市長にも警察署長にも話は通してある。場所も提供してくれるし修理費は五割こちら持ちで承諾してくれた。余波で死人が出ても二十人くらいだったら余裕でもみ消せるそうだよ。……すごいね。金さえあれば何でも出来ちゃうんだからさ」

 

 其レモマタ悲シヒコトダケドサ

 

 全く悲しくなさそうに、御鏡弥生はそう嘯く。

 そうこう話し込むうちに三十分が経過し番組が終わると、通販番組が十五分を使って一つの商品を宣伝しきると、ドラマが始まった。テロップには『ブルガリア帰りの警部補 一二三之(ひふみの)三四六(さんしろう)』と銘打たれている、まごうことなき詰まらない刑事ドラマだった。

 

「あ、詰まんないドラマ」

「その詰まんないのが面白いんだよ。君はもう少しそういったところに面白さを見出す余裕を持とうよ」

「いや、犯人が遺書の隠し場所として主人公の背中に封筒をセロテープで張り付けておくとか意味不明もいいところじゃないか」

「その意味不明な部分を笑って楽しむのがこのドラマの楽しみ方だよ……シリアスなだけじゃ疲れちゃうだろ?

 

 そのセリフには御鏡弥生なりの何か含むところが感じられたが、しかし彼女はとんと、その秘められたる意図を理解できず、何とも言えない沈黙が二人の間に横たわった。

 胸に何かつっかえるものを覚えながらも、最終的にその疑問も何も氷解することなく初戦の相手、ドクトル・バタフライとの決闘に挑むことになったのも、完全な余談と云えよう。

 

 

 

 

 

 

 ――結論カラ云フナラバ、意外ト楽勝デアツタ。

 ソノ後ガ大変ダツタガ、ト云フ但シ書キハ必要カモシレナイガ――

 

 

 

 多少困難であったが、曰く全身大火傷を負ったらしい全身包帯の変質者(ドクトル・バタフライ)と、その護衛を兼ねている四人の女たちに搦手と呼ぶのすら憚られる方法で勝利をもぎ取った彼女は、ドクトル・バタフライから受け取った人形を片手に、御鏡弥生と向かい合っていた。

 

「お疲れ様。どうだった?

「死ぬかと思った! 手加減してくれているとはいえ死を覚悟したんだからな!

「そうかそうか、そこまで元気が有り余っているならばさぞ楽しかったんだろうね」

「オイコラ人の話を聞け!

 

 この女にとってはどうでもいいことなのだろう――そう思いながら御鏡弥生がまるで子供でもあやす様に薄い胸に抱き寄せてくるのを、彼女は拒めずにいた。

 そして彼女は今日で通算三度目、自己の醜い部分を直視させられたような気がしていた。抱き寄せられて頭を撫でられ、それに多分な充足感を得ながらも、自身はどうしたって偽物でしかないのかと打ちひしがれていた。

 そうとは知らずに御鏡弥生はいろいろとぶっちゃける。いい加減に彼女も、御鏡弥生は物語の外から傍観するネタバラシ(メタフィクション)的存在ではないかと疑い始めたところだ。

 

「大丈夫だよ、殺されそうになったら僕が止めてたし」

「――見てたのか」

「そりゃそうさ。大事な友達が、もしかしたら手違いで死んじゃうかもしれないんだ。準備だってするし死なないように見張りもするよ」

「―――――――」

 

 犯罪その物のような絵面に気恥ずかしさを覚えながら、しかし離れるでもなく彼女は御鏡弥生の柔らかい肌を堪能していた。

 自分の肌と溶け合って消えてしまうような、疲れからくる眠気がそんな錯覚を催している自覚を覚えながらも、彼女は自分の頭を、体を、同じくらいに細くて華奢な体に寄せ合っていた。

 ドクトル・バタフライは云っていた。これを彼女に渡せば、今の彼女ではなくなるかもしれないと。こうして抱き合っているのは、そうなるかもしれないという恐怖を直視しないためだと、己の浅ましい部分を散々に直視させられた彼女は理解していた。

 要するに、エゴなのだ。記憶と感情を取り戻したいと泣く彼女が、そうならないで欲しいと楔を打つような、そんな狡賢い様でいて浅ましい、エゴなのだ。

 

「でも見張りの甲斐あって、君の能力が何か、分かったよ。でもそれは、明日にしようか。僕もなんだか、眠くなってきちゃった」

 

 二つ用意されたうちの片方の布団に入り込むと、忘れないうちに、と前置いて御鏡弥生は己の記憶と感情の欠片を持つ――少なくとも彼女がそう証言している――人形と彼女、鷲宮准を抱き寄せながら、眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。鷲宮准は、夢を見ていた。

 小学生のころだった。彼女の教室には一人だけ、いつもいつも、ファストフード店の店員よりも奇麗な笑顔のまま、表情の動かない少女がいた。

 金持ちの娘だった。金持ちなら小学校受験でもさせればいいのにと思いながらも、しかし彼女、幼年期の鷲宮准はその危うさを放ってはおけなかったのだ。

 普通誰もが放っておくか、それか幼い自尊心を満足させるために加担するか、そのどちらかだったが、少女鷲宮准は普通な回答のすべてを一蹴して手を差し伸べた。それが、最終的に自尊心を満足させるためだとも知らないで。

 人間としては当然の感情だが、しかして彼女は、それが浅ましく醜く歪んだ感情であると看破せざるを得なかった。

 結局のところ、御鏡弥生への献身とはいわば自己利益の追求にあるのだと後年になって気がついた。要するに、自己を満足させるために嘘をついているのだ。

 

 ――サウ、ダカラ私ハ偽物ナノダ。ドウシヤウモナク偽物ナノダ。

 

 孔子の性善説と孟子の性悪説……

 性善説は要するに人が善行を行うのはその心底からの善性によるモノである、という考え方であり、性悪説とは要するに人が善行を行うのはその行いへの対価を期待してのことであり心底からの善性ではなく、そこには自己利益を満たそうと根底から湧き上がる欲望があるのだという考え方だ。

 つまり、人間を本物と偽物で分けると、その大半は偽物に分類される。中には本物もいるだろうが、その大半は偽物になってしまう。そして人間はその自己矛盾を背負って生きていかなければならない。

 別段それが罪というわけではないだろう。しかし彼女にはその嘘すら許せなかった。それは他人を利用していることと同義だからだ。

 

 もっと単純に言い換えれば、気持ち悪かった。

 

 私ハ、彼女ノ恩人ニナリタイノカ――? サウナノカモシレナイ――――

 

 

 

 違う――違う――嘘だ。そんなわけで彼女の友達をしていたんじゃ――――意味のない反駁は、ただ自分の浅ましい部分を只管に直視させると知っていて、それでも否定するほかなかった。

 軽蔑されたくはなかった。嫌悪されたくはなかった。絶対的正義も本物もないと知っていても、一度そう演じたなら貫き通す覚悟が必要だと。

 だから彼女はそれからの十年間を、必死で繕ってきたのだ。彼女を守り、彼女に守られる、対等な友人として。

 

 しかし――しかしだ。それでも彼女がその行為は真に善意からであったとする根拠は、根拠と称するには些か以上に薄い物であった。人が圧し掛かれば割れてしまうかもしれないような、頼りない薄氷の上にのみ存在する、たった一つの逃げ道だ。

 

 少女鷲宮准は少女御鏡弥生との初めての交流を経て一つの結論、いや結果論に至った。それだけは分かっていたのだ。それこそが自己の矛盾だと気が付いていながら。

 心の隙間が埋められていくような一時の充足を得て少女鷲宮准はこう思ったのだ。

 御鏡弥生は足りていない己自身(・・・・・・・・・)御鏡弥生には鷲宮准が必要で、鷲宮准には御鏡弥生が必要である

 それは無二の親友だとか、そういったことではなく、まさしく足りていないピースを掛け合わせるかのように、彼女たちの欠損部品はぴたりと一致していたのだ。分離させられたかのように綺麗に彼女たちは対照的に見えて、根本の部分は同じだった。

 それこそ、幼い自尊心を満たす調味料だと、後から自覚することになったわけだが。

 

 ダカラコレハ夢ナノダ。思ヒ出シテシマツタ幼ヒ反駁ヲモウ一度繰リ返スダケノ明晰夢ナノダ――

 

 

 

 鷲宮准が目を覚ました時、御鏡弥生はすでに上半身を起こして中庭の方をボウっと眺めていた。

 何分ぐらいそうしていただろうか。やがて緩慢な動作で横を向くと、彼女は鷲宮准に向かって、おおよそ朝の挨拶には似つかわしくない挨拶をした。

 

 

 

「やぁ、また会えたね――――――――――――准」